こんにちはsoraです。
今年一番の寒さで東京にも初雪が降った翌朝の出勤時、
滑らないようにとかなり気を付けて歩いていたにも関わらず、
道路が凍っているのが見えなくて左足を取られて滑って宙に浮き転倒してしまいました。
人 生 で 二 度 目 の 骨 折
骨折をしたのは小学2年生以来です。
あの頃は家の前で走高跳のまねごとをしていて、
少しかかとのあるサンダルを履いていて、
滑るのも当たり前だと母にしかられたことを思い出しました。
母に注意されていても何回もやっていて出来ていたものだから、
まさか転倒するなんて思いもせずにしていたのでしょう。
それが何回目かで急に滑ったものだから
とっさに腕をついてしまったため動かなくなってビックリしたことを覚えています。
まさか大人になって転倒して骨折するなんて夢にも思いませんでした。
滑った瞬間に宙に浮いた自分の身体が見えているような変な感じでした。
そしてなぜか一瞬目をつぶってしまっていて、
目を開けたときは左手首が折れて動かなくなっていたのです。
目 覚 め た と き の 嫌 な 予 感
起きたときに休むか遅刻にするか悩みもしました。
目が覚めたときに少しだけど軽く頭痛がして、
なんとなく気分が優れなかったため迷ったのです。
そして嫌なことが起きてしまうような気がしてためらったわけですが、
意外にも頭痛が治まったので、いつも通りに駅に向かったのです。
それなのにこんなことになるなんて、やはり気のせいではなく、
嫌な予感が当たってしまったというわけです。
通 勤 災 害
病院が開くまでに時間があるので一旦帰宅して、応急処置として冷やしていました。
それでも痛みは治まらずいい年をして半泣き状態でした。
病院に着くといつも以上に患者さんであふれていて、
レントゲン撮影まで30分も待たされました。
診察は直ぐに呼ばれて骨折がひどいから先に診察しますと先生に言われ、
本当なら手術になるところだけど、きれいな骨折のしかたなので、
先生が引っ張って戻してからもう一度レントゲン撮影して、
手術にするかギプスにするか決めると説明されました。
このときは痛くて泣いてしまいました。
先生も『痛いよね、ごめんね。もう少しだから我慢してね。』と
子どもをあやすように優しく言われ、それでも引っ張る力はかなりの強さでした。
なんとか戻ったようで、一旦固定して様子を見るということになりました。
次の診察で問題なければギプスで治していくということです。
娘には、手術した方が早く治るし、ギプスで1ヶ月以上も不自由な手では
仕事も思うように出来ないと言われて迷っています。
確かに先生からも手術だと直ぐに治るけど、
その日は私で5人目の骨折患者で手術に送り出したのが3人いるので、
この状況では私の手術はいつになるか分からないのだと言われたのです。
生 き て い る 実 感
骨折した日はどうなるのかと不安でいっぱいでしたが、
時が経つように不自由であればどのようにすればスムーズに出来るのかと、
色々試してみたりすることで自分自身も慣れてきていることに気付かされています。
痛みもやわらいできて、治ってきていることを日々感じています。
自分のことながら人間の生命力というものは改めて凄いのだなと実感しています。
厄年について意識して生活したことがありません。
昨年友達が後厄で足指を二度も骨折したと聞いたときには、
まさか自分も骨折するとは思ってもいませんでした。
侮っていたわけではありませんが、
日々の生活でそれほど大きな災難が起こるなんてそうそうあることでもないですものね。
実は娘も後厄になる年なので十分気を付けるように言いました。
まだ若いので自分のその頃の年齢を振り返ると大きな災難もなく過ごしていたので、
もしかしたらこの年齢が一番大変なのかもしれませんね。
今後どんな雪でも決して滑って転倒しないためにテレビで知って即購入しました。
普段の靴に引っ掛けるだけで絶対に滑らずにスムーズに歩けるようです。
これで雪道は恐れることなく歩けます。
厄年の方は充分気をつけてくださいね。
投稿者:sora
平日は派遣でフルタイム働き、還暦を迎えても若い頃と変わらずに、興味のあること知りたいことには貪欲に「楽しく生きる」を追求しています。