こんにちはsoraです。
新年早々に開設したこのブログのトップが骨折した話でしたが、
早いものであれから3週間が経過しました。
骨 折 し た の に 交 通 事 故 も な ん て 嫌 ! !
最初はひとり暮らしでどうやって生活していけばいいのかと、
不安と恐怖でいっぱいでした。
転倒した時の痛みを抱え、確実に折れてしまったであろう左手首を右手で支えて、
泣きそうな気持ちをグッと堪えて、それでもヒクヒクしながら来た道を戻る悲しさ。
転倒したとき後ろを歩いている人が居るかと振り向いたけど、
誰も居なくて、まさかのトラックが向かってきていて恐怖心が募ったこと。
ふと、このままひかれてしまうのかと思い悲しみに暮れたのも束の間、
ここで命まで落としてなるものかと、気を取り戻して必死に起き上がったこと。
家に着いてまずネットで骨折の応急処置について調べて、
腕を心臓のところまで上げて冷やすこととあったので、
直ぐに保冷剤をハンドタオルにくるんで左手首に当てました。
病院に行って事情説明をしたら、通勤災害になるため保険証は利用できず、
その代わりに保証金を支払いました。
それは通勤災害の申請後に全て終わってから返金となると説明されました。
着 替 え る た め の 知 恵
その日着ていた服ではギプスをすると帰宅してから着替えることが出来なくなるので、
レントゲンを撮るときのX線防護服を着せてくださり、お借りして帰りました。
帰宅してから何もする気になれず、落ち込みモード全開でした。
食事の支度はどうしよう、お風呂はどうするんだと、
あれこれ考えることばかりで行動に移すことも出来ず、
ソファーに座ったまま日が暮れるまで動けずにいました。
動かずにいてもお腹は空いてくるのです。
冷蔵庫にある食材で右手だけでなんとか支度をして食べました。
問題は入浴です。
先生からは左手をビニールでくるんで入るようにと言われたのですが、
一人ではとても不安で入ることが出来ませんでした。
翌日からはビニールでしっかりとくるんでシャワーで済ませています。
3週間も経つとシャンプーも右手だけでしっかりと洗えているし、
着替えも上手になっています。
冬はセーターばかりでカーディガンが少なくて、
あっても袖が細めのため袖を通すことが出来ないため、
半袖のTシャツにセーターとなります。
ギプスと包帯で滑りが悪く、セーターを着るのも一苦労です。
先日、肘まであったギプスが肘の手前までになり、少し軽めになりました。
セーターを着る時に左手にビニールをかけることで滑りも良く
すんなりと着られるようになりました。
出 来 る 限 り は 自 分 で す る
日々、経過して行くことで、出来なかったことが少しずつ出来るようになってきて、
晴れた日には布団も干せるようになりました。
最初は娘に来てもらって布団を干してもらおうかとも思ったのですが、
直ぐに頼ることばかりせずに、可能な限り自分でしたいという思いもあり頼みませんでした。
昔だったら綿布団だから決してこの状態で干せるわけもなく、
現在は羽毛布団というとても軽い布団だからこそ出来ることです。
ベッドメイクが出来なければ、
ベッドパッドにタオルケットをシーツ代わりにしようと思っていましたが、
意外にも、右手と左肘と足を利用しながら上手に出来ました。
一つ出来るごとに喜びも増してきます。
まるで子どもの成長を見ているかのように(^^;
爪 切 り や 缶 詰 と の 闘 い
左手首の骨折で不思議なことを見つけました。
それは、左手指の爪が伸びないということです。
元々深爪のほうで長く伸ばすことができなくて、
爪を切るまでの期間が早く、1週間から10日間くらいに1回は切っています。
しかし、左手首の骨折で指の力がはいらないため、爪切りは当分あきらめていました。
それでも少々我慢の限界となり右手指の爪を切ることにしたのですが、
やはりどうしても左手指に力が入らなくて、
こればかりは娘を頼るしかないかと思っていたその時に、
足があるではないかと思いついたのです。
爪切りを切れる状態にして両足の膝の間に挟み、
動かないように左手で支えて、右手指を爪切りに持っていき、
膝で挟む力を加えて切ることに成功したのです。
流石にいつものような深爪は出来ないのですが、
神経を使っているせいか、深爪するよりとてもキレイに切ることが出来たのです。
今もまだ左手指の爪は伸びてこないのですが、
右手指の爪は以前と同じ速さで伸びてきています。
缶詰は片手で抑えて片手で開けられるようになっていますが、
抑えるのにも力が必要なので、右手でカチっと隙間は作れたものの、
その後開けるためには左手の力が入らず開けられないまま、
その少し開いた隙間と睨めっこ状態でした。
隙間が開いて放置したら食べられなくなってしまう。
どうすればいいかと考えた結果、目の前に菜箸を見つけたので、
菜箸を缶詰に挟んで、菜箸の上はお腹で支えて右手で缶詰を動かして、
開けることに成功して無事に食べることが出来たのです。
何も不自由なく暮らしていて、突然片手が使えない状態になると、
一番には恐怖心と不安感でいっぱいになり何も考えが及ばなくなりましたが、
その不自由さと日々暮らしていくうちに、
不自由なりに考えて出来て行けるようになるものなのだと実感しています。
父 か ら 得 た も の
ここまで逞しくなれたのは、
末期癌でも一人で暮らしていた父の影響が大きいです。
父の世話をしていましたが、それは最低限のことであり、
同居したいとも言わず、自分で出来ることは全てしていたのです。
あのメンタルの強さの半分くらいもないかもしれないけれど、
生きている限り、人間の身体は確実に再生されていきます。
この年齢でこの経験はきっと深い意味があるのだと肝に銘じています。
投稿者:sora
平日は派遣でフルタイム働き、還暦を迎えても若い頃と変わらずに、興味のあること知りたいことには貪欲に「楽しく生きる」を追求しています。